浜崎あゆみから説く平成男子の3月

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どんな人だって、誰かが頑張っているから、自分も頑張ろうって思った経験があると思う。僕の場合、それは身近な人間ではなく、どんなに近づきたくても近づけない遠い存在の人だった。avexの松浦社長、そこに所属する浜崎あゆみその2人は僕にどれだけの感情を与えてくれたか計り知れない。


もちろん身近にも、僕に影響を与えてくれる人はたくさんいる。恩師やクラスメイト、親友や友人。その人達には、すごくお世話になったし、感謝してもしきれないところはたくさんある。
だけど、先の2人は、特に、浜崎あゆみに限っては、考え方が凄く似ている気がする。もちろん彼女の方が、僕なんかよりもより先を、より深く見ているが、本質的なところは似ていると思う。



僕は、あと一ヶ月もしないうちに新社会人となり、新しい環境で、新しい考え方で生きていかなければならない。この一ヶ月、学校も終わり、学生と社会人の狭間にいて、思っていることはたくさんあるが、一言で言うなら"不安"。恐怖も緊張も捨てて、腹を括った。不安にならないように、ずっと前から一生懸命、前を向いて生きていたつもりだった。夜も眠らず、自己分析をして、エントリーシートを書いた日もあったし、目標を立てて、日々努力をする力も手に入れた。だから、どんなことがあっても不安なんて感情には、押し潰されることなんてなかった。けど、最近また、自分に負けている。

[どうしたら どうしたら どうしたら/こうなってしまう前の自分にね/戻れるのかを教えて/you gotta tell me]

今なら、浜崎あゆみがロスに向かう前のアルバム、"LOVE again"で花を語っている理由が分かる気がする。最近の僕は、卒業や冠婚葬祭の関係で花に触れる機会が増えてるんだけど、花って特別な時に使うよね。大概は、大切な人へのお祝い。お祝いは良いものだけじゃなくて、悪いものもある。だから、花言葉にも、良い意味もあれば悪い意味もある。先のアルバムに入っている曲名、"Ivy"の花言葉は、永遠の愛、友情、不滅、結婚、誠実、そして、死んでも離れない。

[まだまだ嫌われていますか/まだ許されはしないですか/まだまだ誤解されていますか/まだ信じてはもらえませんか]

あの頃の浜崎あゆみは、日本でやっていくことに限界を感じていた。だから、ロスに行き、世界を目指していたのかもしれない。そんな自分に向けて花というアルバムを、自分に贈ったのかもしれない。愛があるところに花がある。きっと、浜崎あゆみは、日本のファンにもう一度、愛してほしかったんだと思う。だからこその"LOVE again"。

彼女には、花言葉のように、表と裏がある。テレビでは可愛らしい少女のような笑顔を見せているが、本当の彼女は今でも孤独だと思う。だけど、それは彼女だけに限らず、誰しもが抱えているのではないだろうか。普段は、ヘラヘラしてるけど、本当は強い信念がある人、普段は笑っているけど、本当は泣いている人。良い意味でも悪い意味でも、表と裏は存在する。

[楽しいワケでもないのにね/笑えたりするようになった/僕は変わってしまったのかな]

大事なのは、それらのバランスを調整すること。彼女も僕も、今そのバランスが崩れている。いや、もしかしたら多くの人が、この"3月"という時期は、ナーバスになってしまうのかもしれない。

なぜ僕の中でバランスが崩れているのか、先に言った、"自分に負けている"理由は、今までの自分の生き方に後悔があるから。出会った人はたくさんいたけど、今もいるかなって。大切な人はいる。けど、切り捨てた人の方が多いのかなってことに気づいた。いや、ずっと前から気づいてたけど、切り捨てるのは、自分のためだと思ってた。だって、余計な人に関わってて、自分が使いたい時間を減らされるのは御免だから。ずっと、そんな風に思ってたのに、この時期になるとね、そんな人達が連絡をくれる。それも優しくて、暖かいメッセージを添えて。

[いつかもう一度あなたに逢えたその時は/嫌がられるくらい抱きついてみてもいいですか]

正直なところを言うとね、僕はずっと孤独だった。浜崎あゆみみたいにね、小さい頃に愛を注いでもらえなかったとか、そんな深い理由はないんだけどさ、いつからか、人を信じることができなくなってた。いや、傷ついた過去はあったかな。そのせいかもしれないけど、人と関わることが僕の中でずっと恐怖だった。自分を傷つけないために、ずっと孤独でいることにした。そんな世界観に慣れてたんだよ。だから、東京グール好きなんだろうな〜。笑

そんな人間だったからさ、今まで何度も"3月"を迎えたのに、涙したことなんてなかった。でもさ、今年の"3月"は、今までと違うんだよね。涙があふれ出してくる。なんで、もっと愛してあげられなかったんだろうって。なんで、もっと信じてあげられなかったんだろうって。
そして、なんで、あなたはそんなに僕を愛してくれるのかって。なんで、そんなに信じてくれるのかって、胸が苦しくなる。

この間、追いコンに行ったけど、みんなの暖かさに負けて、途中で帰っちゃった。どんな態度で、どんな顔して、話せばいいのか分からなくてね。そんな瞬間が、長い、短いに関わらず、何度もある。そういえば、唯一なんでも話せる親友がいるんだけど、そいつに相談したら、やっと人間らしくなったねって言われちゃった。笑

でもさ、今更向き合って、本音言えるほど、僕まだ強くないんだよね。だから、こうやってダイアリーに綴ってる。もしも許されるのなら、いつかこの想いが伝わりますように。

[この夏に魔法をかけていたいよずっと/そして君の隣にいさせて/生まれて初めての感情を知って/大切にしていたいんだよ/この夏のことを忘れないよずっと/心のダイアリーに綴るよ/叶うならこのままで変わらないでもっと/このページ埋めていきたいよ/もしも許されるのなら]

 

[真っ白い雪に魔法をかけて/言えなかった言葉を/今こそ伝えにいこうか]

 

裏切られても裏切られても、人を信じた雪平のように、僕も人を信じてみたい。
だから、これからは、もう少し人間らしく生きたいなって、その決意を固めるのと、不器用な僕からのありがとうって気持ちを伝えられるダイアリーになればいいなって思ってる。

[それでもねまた人を愛して/傷ついてって繰り返すよ/涙はいつの日にか最後に/意味を持たせてくれるからと]

最後にひとつだけ。今の気持ちを文章にしたおかげで、すごく気が楽になった。けど、ひとつだけまだ気掛かりなことがある。それが一番ネックなんだけど、ここに書くことでもないかな。笑
それだけは、心のダイアリーに綴るよ。

 

[手伸ばしてももう遅くて/取り戻せないことに気付いた/愚かな私は遥か遠いところまで逃げてきていた/見上げた空はもう誰とも繋がってなどいない気がした]

平成生まれから見た浜崎あゆみ

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全盛期を共に過ごす事のできなかった、平成生まれの僕からみた「浜崎あゆみ」はとても深い謎に包まれていると思います。彼女は、なぜ今も歌を歌い続けるのか、なぜどこか孤独を感じさせるのか。そんな彼女の今を、平成男子の目線から追っていきたいと思います。

(平成生まれから見た)

浜崎あゆみとは...

平成生まれと言っても僕は2015年現在、21歳です。21歳といえば、あゆは丁度"SEASONS"をリリースした歳。その時、僕はまだ7歳です。つまり、僕達の世代では、「浜崎あゆみ」という存在を知るきっかけが少ないのです。僕は、身内の影響で、小さい時から曲も聴いており、ライブにも参加していましたが、僕の周りには彼女を知らないという人もいます。

僕でさえ、全盛期の彼女、もっと言えば、2010年リリースの"Rock'n'Roll Circus"より前の彼女は詳しく知りません。絶望三部作があったことも、所属しているレコード会社に対して不信感を抱いていたことも、彼女が育った家庭の環境のことも。

それらを知りたいと思わせるようになったのが、"Rock'n'Roll Circus"から約半年後リリースの"Love songs"に収録されている、"Like a doll"という曲を聞いたのがきっかけです。

[諦めない心捨てること/信じる心捨てることで/全ての感情にフタをしていれば傷つくこともないね/喜びもないけれど]

メイン曲ではないので、認知度は高くないと思いますが、当時高校生だった僕は、感銘を受けました。こんなにも自分の内なる想いを的確についてくる人がいたのかと。そこから彼女に共感を抱くようになり、昔の浜崎あゆみを調べるようになりました。

昔の浜崎あゆみ

初めて、歌番組"hey!hey!hey!"に初登場した浜崎あゆみを見た時、あゆにもこんな時代があったのかと驚きを隠せませんでした。

ダウンタウンさんとは面白トークを連発しており、とても若い印象を受けますが、その後歌った"For My Dear..."では、芯のある歌声、歌詞に後の「浜崎あゆみ」を感じました。

 

 

そして、光と影という番組。ここでは一人の人間としての強さであり弱さでもあるものを感じました。「自分は組織の一部であり、大切な商品なんだ」という彼女の言葉に、もしかしたら、歌手としての名声を勝ち取っていた当時でさえも居場所がなかったのかと思わされました。

 

 

昔の彼女を知れば知るほど、孤独という彼女の考え方に深く共感していく自分がいました。しかし、昔を知ったうえで、"Like a doll"を聞くと、どこか違和感を感じました。その後リリースアルバムの"Party Queen"、"LOVE again"、"Colours"も昔の「浜崎あゆみ」らしさに欠けると感じました。(音楽の専門家でもなんでもないので、具体的になにが違うのかと聞かれても困りますが・・・)

しかしそれらのアルバムの中にも"Like a doll"のように歌詞だけに目を向ければ、「浜崎あゆみ」というスピリットは残っていると思います。

現に、「全盛期を彷彿とさせる」、「浜崎あゆみ復活か」と言われている今年リリースした"A ONE"というアルバムのメイン曲の内の一つ、"WARNING"では「お人形さんじゃない」と歌っています。これは"Like a doll"という歌詞を書いたときの想いに続くものだと、とれると思います。

 

 

[もう変化なんて恐れない/進化に必要じゃない/失くすのを怯えたりなんかしない/黙ってなんかない/お人形さんじゃない/アタシはアタシの為に叫ぶわ]

浜崎あゆみは「変わってしまった」と思う人が多いかもしれませんが、なにも「変わってなかった」のだと思います。

その証拠に、"A ONE"リリース後のミニアルバム、"sixxxxxx"に収録されている"Sorrows"という曲では、ファンへの熱い想いを感じます。

[強く風吹く時も/雨に打たれる時も/君を見つめ真っ直ぐにと歩いていく/すごく淋しい夜も/苦しい朝が来ても/ここで夢を紡いでいくよ君のために]

平成男子が浜崎あゆみを知って、伝えたいこと

全盛期には、社会現象まで起こした人です。あの時、「あゆに支えられた」と思っている人は、本来であれば、今のファンよりもっと多いはずです。

最近では、彼女の周りには良くないニュースや噂が取り巻いていますが、それが一体なんだというのでしょうか。その目で、今の彼女に向き合っていない人の言葉など何の説得力もないと思います。彼女が僕たちに伝えたい想いは昔からなにも変わってなかった。それさえ分かれば、彼女をもう一度信じようと思えると思います。

何度も申しているように、僕は、生まれた時代が「浜崎あゆみ」ではありません。だからこそ、「あゆ世代」の人が凄くうらやましいです。"hey!hey!hey!"でダウンタウンさんと可笑しいトークを繰り広げている浜崎あゆみも、"ayu ready?"で司会を務めている浜崎あゆみも、一個人の「浜崎あゆみ」と世間がイメージする「あゆ」との違いも、それらのありとあらゆる情報をリアルタイムで入手することができ、「浜崎あゆみ」と向き合えていたという人が、本当にうらやましくてたまらないです。

それなのに、「なんとなく曲の雰囲気が変わったから」 、「メディアにネガティブな記事を書かれるようになったから」、「あゆの時代が終わったから」などの理由で、彼女と共に過ごした時間をなかったかのように、今の彼女と向き合わないのはとても悲しいことだと思います。

 [確かにひとつの時代が終わるのを僕はこの目で見たよ/そして次は自分の番だって事も知っている本当は]

[今日も逢えたね大好きなその笑顔/今日も聴けたね大好きなその声/時代がどれだけ変化し続けてもずっと変わらないものがここにはひとつあるから]

彼女に与えてもらった感情を、居場所を、今度は僕達が与える番になったのだと思います。少し話が大きくなりすぎてるのかもしれませんが、彼女の居場所を作ってるのは、間違いなく、僕達ファン一人一人の想いです。彼女は今、改めてファン一人一人と向き合っています。約1年でフルアルバム2枚とミニアルバム1枚をリリースするハイペース、それと比例するかのように、全国アリーナツアーに続いての、12年ぶりのファンクラブツアー。これはファンを大切にしたいという想い以外、考えられない行動だと思います。

今こそ、昔のファンも今のファンも、一人一人が今の浜崎あゆみと向き合うべきなのではないでしょうか。そして、「ただいま、あゆ」って笑顔で、僕達から手を差し伸べるべきではないでしょうか。彼女の居場所を、そして僕達の居場所を見つけるためにも。

[居場所がなかった/見つからなかった/未来には期待出来るのか分からずに]