平成生まれから見た浜崎あゆみ

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全盛期を共に過ごす事のできなかった、平成生まれの僕からみた「浜崎あゆみ」はとても深い謎に包まれていると思います。彼女は、なぜ今も歌を歌い続けるのか、なぜどこか孤独を感じさせるのか。そんな彼女の今を、平成男子の目線から追っていきたいと思います。

(平成生まれから見た)

浜崎あゆみとは...

平成生まれと言っても僕は2015年現在、21歳です。21歳といえば、あゆは丁度"SEASONS"をリリースした歳。その時、僕はまだ7歳です。つまり、僕達の世代では、「浜崎あゆみ」という存在を知るきっかけが少ないのです。僕は、身内の影響で、小さい時から曲も聴いており、ライブにも参加していましたが、僕の周りには彼女を知らないという人もいます。

僕でさえ、全盛期の彼女、もっと言えば、2010年リリースの"Rock'n'Roll Circus"より前の彼女は詳しく知りません。絶望三部作があったことも、所属しているレコード会社に対して不信感を抱いていたことも、彼女が育った家庭の環境のことも。

それらを知りたいと思わせるようになったのが、"Rock'n'Roll Circus"から約半年後リリースの"Love songs"に収録されている、"Like a doll"という曲を聞いたのがきっかけです。

[諦めない心捨てること/信じる心捨てることで/全ての感情にフタをしていれば傷つくこともないね/喜びもないけれど]

メイン曲ではないので、認知度は高くないと思いますが、当時高校生だった僕は、感銘を受けました。こんなにも自分の内なる想いを的確についてくる人がいたのかと。そこから彼女に共感を抱くようになり、昔の浜崎あゆみを調べるようになりました。

昔の浜崎あゆみ

初めて、歌番組"hey!hey!hey!"に初登場した浜崎あゆみを見た時、あゆにもこんな時代があったのかと驚きを隠せませんでした。

ダウンタウンさんとは面白トークを連発しており、とても若い印象を受けますが、その後歌った"For My Dear..."では、芯のある歌声、歌詞に後の「浜崎あゆみ」を感じました。

 

 

そして、光と影という番組。ここでは一人の人間としての強さであり弱さでもあるものを感じました。「自分は組織の一部であり、大切な商品なんだ」という彼女の言葉に、もしかしたら、歌手としての名声を勝ち取っていた当時でさえも居場所がなかったのかと思わされました。

 

 

昔の彼女を知れば知るほど、孤独という彼女の考え方に深く共感していく自分がいました。しかし、昔を知ったうえで、"Like a doll"を聞くと、どこか違和感を感じました。その後リリースアルバムの"Party Queen"、"LOVE again"、"Colours"も昔の「浜崎あゆみ」らしさに欠けると感じました。(音楽の専門家でもなんでもないので、具体的になにが違うのかと聞かれても困りますが・・・)

しかしそれらのアルバムの中にも"Like a doll"のように歌詞だけに目を向ければ、「浜崎あゆみ」というスピリットは残っていると思います。

現に、「全盛期を彷彿とさせる」、「浜崎あゆみ復活か」と言われている今年リリースした"A ONE"というアルバムのメイン曲の内の一つ、"WARNING"では「お人形さんじゃない」と歌っています。これは"Like a doll"という歌詞を書いたときの想いに続くものだと、とれると思います。

 

 

[もう変化なんて恐れない/進化に必要じゃない/失くすのを怯えたりなんかしない/黙ってなんかない/お人形さんじゃない/アタシはアタシの為に叫ぶわ]

浜崎あゆみは「変わってしまった」と思う人が多いかもしれませんが、なにも「変わってなかった」のだと思います。

その証拠に、"A ONE"リリース後のミニアルバム、"sixxxxxx"に収録されている"Sorrows"という曲では、ファンへの熱い想いを感じます。

[強く風吹く時も/雨に打たれる時も/君を見つめ真っ直ぐにと歩いていく/すごく淋しい夜も/苦しい朝が来ても/ここで夢を紡いでいくよ君のために]

平成男子が浜崎あゆみを知って、伝えたいこと

全盛期には、社会現象まで起こした人です。あの時、「あゆに支えられた」と思っている人は、本来であれば、今のファンよりもっと多いはずです。

最近では、彼女の周りには良くないニュースや噂が取り巻いていますが、それが一体なんだというのでしょうか。その目で、今の彼女に向き合っていない人の言葉など何の説得力もないと思います。彼女が僕たちに伝えたい想いは昔からなにも変わってなかった。それさえ分かれば、彼女をもう一度信じようと思えると思います。

何度も申しているように、僕は、生まれた時代が「浜崎あゆみ」ではありません。だからこそ、「あゆ世代」の人が凄くうらやましいです。"hey!hey!hey!"でダウンタウンさんと可笑しいトークを繰り広げている浜崎あゆみも、"ayu ready?"で司会を務めている浜崎あゆみも、一個人の「浜崎あゆみ」と世間がイメージする「あゆ」との違いも、それらのありとあらゆる情報をリアルタイムで入手することができ、「浜崎あゆみ」と向き合えていたという人が、本当にうらやましくてたまらないです。

それなのに、「なんとなく曲の雰囲気が変わったから」 、「メディアにネガティブな記事を書かれるようになったから」、「あゆの時代が終わったから」などの理由で、彼女と共に過ごした時間をなかったかのように、今の彼女と向き合わないのはとても悲しいことだと思います。

 [確かにひとつの時代が終わるのを僕はこの目で見たよ/そして次は自分の番だって事も知っている本当は]

[今日も逢えたね大好きなその笑顔/今日も聴けたね大好きなその声/時代がどれだけ変化し続けてもずっと変わらないものがここにはひとつあるから]

彼女に与えてもらった感情を、居場所を、今度は僕達が与える番になったのだと思います。少し話が大きくなりすぎてるのかもしれませんが、彼女の居場所を作ってるのは、間違いなく、僕達ファン一人一人の想いです。彼女は今、改めてファン一人一人と向き合っています。約1年でフルアルバム2枚とミニアルバム1枚をリリースするハイペース、それと比例するかのように、全国アリーナツアーに続いての、12年ぶりのファンクラブツアー。これはファンを大切にしたいという想い以外、考えられない行動だと思います。

今こそ、昔のファンも今のファンも、一人一人が今の浜崎あゆみと向き合うべきなのではないでしょうか。そして、「ただいま、あゆ」って笑顔で、僕達から手を差し伸べるべきではないでしょうか。彼女の居場所を、そして僕達の居場所を見つけるためにも。

[居場所がなかった/見つからなかった/未来には期待出来るのか分からずに]